岸田真理子公式サイト「金星美術館」のblog、“準備室だより”です。作品展のスケジュールなどをお届けします。
サイト運営担当のyamamomoが作品に感じたことや引き出されたことなどを、“見る側”のひとりとして書いたりもしています。

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ドローイング #21
2001年に描かれた岸田真理子さんのドローイングをご紹介しています。



  岸田真理子 ドローイング 

   Special Thanks to: Ikezaki Tsuguhito



わたしの周りには、“つくる”ことを本分としている人が、たくさんいます。とてもたくさんいます。広い意味での“つくる”こと――今ある世界に、新しい存在を送り出すということ。

絵描きさんの岸田真理子さんのほかに、たとえば写真を撮る人たち。金属で立体を生み出す人たち。音楽を聴かせてくれる人たち。誰かが使うためのものを形にする人たち。お店を育てていく人たち。誰かに何かを伝えるための方法を組み立てる人たち。

芸術という領域でくくられるものとそうでないものとの間にはたくさんの違いがあるし、つくる人それぞれの間にも、たくさんの違いがある。
でも、そうした人々のつくったものにふれていると、ふっと何かが、つながって見えたような気がすることがある。
何がそう見せるんだろう、と考えると、それはたぶん、世界への“思い”ではないかと感じます。

自分が何もしなくても、世界はなくならない。地球は回り続ける。けれど、敢えて何かを送り出すとしたら・・・それを世界に交わらせることに某かの意味があるものとは、どんな姿を持つべきなのか。これから新しい存在を送りだそうとしている、世界は今どうか。
ことばでの表し方がこれでいいのかは分からないけれど、そういう種類の問いがいつも、“つくる”過程のどこかに、ふくまれているような気がします。
うつくしさや完成度だけでなく、思いが形をとっているから、他のものでは代われない存在として、この世界に生まれてくる。

“つくる”人たち――自分にとっていちばん大切なことを通じて、世界を感じとろうとしている人たち。

彼らの思いで、世界はばらばらに飛び散ってしまわないよう守られている。ちょうど張りめぐらされた樹木の根が、土を抱きしめているみたいに。




*記事タイトルの#XXというナンバーは、準備室だよりでのご紹介順を
 示すためのものです。作品にふられた番号ではありません




[writer:yamamomo]
| 作品のこと|ドローイング | 21:21 | comments(0) | - |
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