岸田真理子公式サイト「金星美術館」のblog、“準備室だより”です。作品展のスケジュールなどをお届けします。
サイト運営担当のyamamomoが作品に感じたことや引き出されたことなどを、“見る側”のひとりとして書いたりもしています。

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木村忠太のお話の続き
昨年の12月に、木村忠太の作品を知って強く感じるものがあったことを、書きました。

この香川県出身の洋画家について、わたしは何の予備知識もなかったのに、美術館の展示室に入った瞬間にその作品に惹きつけられたのはどうしてだろう。
展示室の一角にかけられた作品に近づきながら、岸田真理子さんの絵のことが浮かんできたのはどうしてだろう。描かれているのはフランスの風景なのに。

その手がかりみたいなものを見つけたくて、もっとたくさん木村忠太の作品を見たい、とずっと思っていました。地元の高松市美術館も30数点の作品を所蔵しているのですが、どうやら当分の間、展示の予定はなさそう。

そこで、ネットオークションで過去の企画展の図録を買いました。
1994年、東京国立近美での「木村忠太展」のものです。



木村忠太図録 東京国立近美



画集は高価で手が出なかったので、図録にしました。
でも役不足ということはなかった。作家について書かれた文章や年譜も載っていて、手がかりをもらえたような気がします。

これはあくまで個人的で、勝手な解釈であることをはじめにおことわりしておきますが――
作品の生まれ方が、木村忠太と岸田さんは限りなく近い、というのが“どうしてだろう”の答えのように思いました。

作品の生まれ方。

見知ったこと・知識のおよぶものを取り込んで作品にしていくのではなくて、うつくしい事象や描きたいものだけをとらえるのではなくて、ふれることのできる世界につながっている時間や混沌や宇宙まで感じとる。
感受性を丸ごと、裸のままで宇宙の中に置く。すべての力を感じることにかたむける。ひたすら耳をすます。

木村忠太という人はそうやって絵を描いていたのだろうと、わたしは思うのです。

うつくしく、調和して、祝福があって、音楽が聴こえる。
絵を見ているときの感じを書こうとしてもうまく表現できないのですが、光を描くというのはこういうことなのかな、と感じたりもしました。
光って明るさの結晶みたいなものではなくて、あらゆるものを含み肯定したものなのかな、と。

作品を見ている“ただの人”であるわたしは、絵の世界へ「思いを馳せる」のではなくて、絵描きのたましいを借りて、絵描きが感じた宇宙をそのまま感じ、絵描きが聴いた音楽をそのまま聴くことができます。

木村忠太と岸田真理子さんは別々の存在ですから、作品を見比べて何かを見出そうとすることに、あまり意味はないと思います。
ただ、作品の前に立つと同じ光を感じて、同じ音楽が聴こえてくるので――きっと、同じところからやってくるのだろうと、そう思います。



[writer:yamamomo]
| yamamomo日記 | 23:47 | comments(2) | - |
コメント
つぐさん

ああいうところで、心ゆくまで自分のペースで絵が見られたら・・・しあわせですねえ。
高松市美術館は庭がありませんけど、おにぎりは近くの中央公園(球場跡で広い)で食べてもいいかもしれません。

あ、11月に高松市美術館で植田正治展があるので、ワタクシめも行ってまいります。
| 受付係yamamomo | 2010/06/29 10:57 PM |
高松市美術館と「海辺のカフカ」の図書館が、勝手に重なってしまって・・・(笑)。

木村忠太をみてから、庭でゆっくりおにぎりを食べたいです。
| tsugu | 2010/06/29 6:57 PM |
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