岸田真理子公式サイト「金星美術館」のblog、“準備室だより”です。作品展のスケジュールなどをお届けします。
サイト運営担当のyamamomoが作品に感じたことや引き出されたことなどを、“見る側”のひとりとして書いたりもしています。

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「街の灯」
前回、あちこち行かなければならなくて、と書きましたが・・・それにも増して、さらにあちこち行ってきた11月でした。


  
   岸田真理子 街の灯 

   Special Thanks to: Ikezaki Tsuguhito



今日の岸田真理子さんの作品は、水に映る街のあかりを描いたものだと思います。

空気がつめたくなってくると、月や星からとてもくっきりした光が届くようになりますが、それは電気のあかりも同じで、とりわけ静かな水面に映る夜のあかりには、地面のうえにあるほんとうのあかりより、もっとたしかに感じられるようなところがあります。

夜の水の中に見えるのは、ヒトのあかりです。
その街で暮らす人々のあかり。
水鏡に映る無防備にこぼされたあかりに、月や星や雲や、山の樹々や夜風は、街の“ほんとう”を見ているかもしれません。

わたしがうつくしいと感じるあかりと、夜を形づくるものたちがうなずいてくれるあかりは、同じでしょうか。かれらがうなずいてくれる街で、わたしは暮らせているでしょうか。



[writer:yamamomo]
| 作品のこと|ドローイング | 23:06 | comments(0) | - |
「光の樹」
岸田さんの近作小品シリーズ「光の樹」からの一点です。
実際はもっと、色の重なりに透明感があるのですが・・・インターネット上の画像では再現に限界があるので、色のある光が透きとおったまま重なり合っているのをイメージしてご覧ください。


  
   岸田真理子 「光の樹」 

   Special Thanks to: Ikezaki Tsuguhito



先日の台風が過ぎたあと、夕暮れどきの瀬戸内海。
島の上に広がる空に、ちょうどこんな光を見ました。

高いところに静止画のように広がる雲は、強い風と雨でみがかれた空にくっきりと浮きあがっていました。沈んでいこうとするおひさまは朱いほのおのように透きとおって、少しうるんでいるみたいでした。

透きとおったおひさまから広がる光は、透きとおった空を伝わって、透きとおったまま雲に届き、そこで、七色の透明な光になっていました。
どれほど見つめても濁りはなく、どこまでも透明な光でした。

あの夕暮れから少し時間が経ってしまったけれど、はじめて目にした透明さはすぐ胸に呼び戻すことができます。あれが、光のほんとうの姿だったのかもしれない、と思います。

風と、雨と、雲との力を借りて、ヒトははじめて光を見ることができたということでしょうか。光の樹を――きっと、生きものの世界の真ん中に立っているにちがいない光の樹を、ヒトはいつ自分の目で確かめることができるのでしょうか。

胸に呼び戻した光の中に、静かにすっと立つ樹の姿を探します。
探しているうちに、あるとき気がつくと、その根元に立っているのではないか・・・そんな気がします。




[writer:yamamomo]
| 作品のこと|ドローイング | 23:49 | comments(0) | - |
「泉」
公式サイトTOPページの作品をかえました。



 「泉」 

 岸田真理子「泉」 

   Special Thanks to: Ikezaki Tsuguhito



更新作業をしたのが一週間も前なので(すみません)、すでにご覧になっている方もいらっしゃるかもしれません。準備室の投稿カテゴリの都合で「ドローイング」に分類しました。



泉。水が、地表に湧き出してくるところ。

降りそそいだ雨が土を湿らせ、ゆっくりと深くしみこみ、一滴一滴が集まりながら、やがてひとつの流れになります。
空から落ちてきたときにしずくを受け止めた葉っぱの記憶や、地中深くの化石から聞いたものがたりを無数に集めて、流れはある日、地上へ。
小さなしずくの集まりは、緑を繁らせ生きものの体をうるおす、いのちの源になります。

無言で受け継がれる記憶、ものがたり、そこにうかぶ思い。

果てることなく確かに続いていくものを、重なりあうほど澄んでいく何かを、自分の細胞の中にも感じるような、水の姿の絵です。



[writer:yamamomo]
| 作品のこと|ドローイング | 23:54 | comments(2) | - |
色えんぴつのドローイング
今日は、岸田真理子さんのドローイング16点をスライドショーで。




このごろ、受付係yamamomoはなかなか文章が書けません。
これまで(生まれてから今まで)、そういうことは一度もなかったと思います。
少なくとも、記憶にはない。

それじゃ、未だかつてなくいそがしいのかというと、そうでもないのです。
もっともっと時間がなかったことは、いくらでもあった。

今はたぶん、ひとつのことにじっと心を向けているのがむずかしい。
目をやった先にさまざまなことが浮かんで、それらの断片はほんとうはひと続きになっているのだけれど、それを一個の存在に組み立てる作業は、自分でしなくてはならない。
そのときのために、無数の断片を記憶しておかなければならない。
去ってしまわないうちに、ぼやけてしまわないうちに。

ふと、こんな考えが浮かびます。
もしかしたら、絵描きにとってのドローイングも、そんな備忘録と似たような役割を果たすことがあるのだろうか、と。

もっとも、岸田真理子さんのドローイングに限っては、そういう考えはほとんど当てはまらないのかもしれません。
今日の作品たちをふくめ、ひとつひとつがこんなにもくっきりした空気と、ためらいのない色を持っているので。




[writer:yamamomo]
| 作品のこと|ドローイング | 21:51 | comments(0) | - |
「Promise Blue」の作品を増やしました
企画展示室|ドローイング#01「Promise BLUE」に6作品を追加しました。



  岸田真理子「promise blue」より 

   Special Thanks to: Ikezaki Tsuguhito



今日の画像は、その6つのうちのひとつ。
tsuguさんからデータをいただいて(いつも深謝です)、追加したいと思っていたのがやっとできました。
あたらしいものはこれまでアップしていた作品の冒頭に追加したので、スライドの初めに表示されます。あらためておたのしみいただければ。

たいへん主観的なことを申しますが・・・青って、見る者の内側へ浸みてくる色だと思います。そして、そこに留まる色ではないかと。
自分なりにそう思う理由を説明することはできるのかもしれませんが、ただそんなふうに感じるのだと言うだけにしておいたほうがいいように思います。
内側にいくつもの青を持っている。ひとつひとつの青に、約束がある。

ヒトがいちばん最初に名前をつけたのは、青ではなかったか――岸田真理子さんの「Promise Blue」シリーズを見ていると、そんな気がしてくるのです。


[writer:yamamomo]
| 作品のこと|ドローイング | 21:52 | comments(0) | - |
ドローイング #29
2001年に描かれた岸田真理子さんのドローイングをご紹介しています。



  岸田真理子 ドローイング 

   Special Thanks to: Ikezaki Tsuguhito



ドローイングのご紹介、今回の分(おっとりおっとり更新していたので足掛け4か月に渡ってしまいましたが・・・)はこれでひと区切りにしようと思います。

岸田真理子さんの作品に限らないと思うのですが、ドローイングって写真に少し似ているところがある、と感じます。
容易にはとらえがたいもの、あるいは瞬間の姿をとらえて、ある大きさの平面に映しこむ。
とらえたものを作品として再現する力はもちろんたいせつなのですが、“とらえる”ところにいちばんたましいがあるような気がする。
誰かがとらえてくれた姿に、作品を見る側は“ずっと終わらない瞬間”の中でふれることができます。

岸田さんのドローイング以外の作品――ペインティングや銅版画――には、まるで宇宙のように無数の、リズムや時間の速さや思いやが描かれています。
みなが混然と、でも調和していて、しずかにうつくしいさま。
その無数のひとつひとつが、たとえばこうした、とらえられたいとおしい瞬間の姿たちなのでしょう。


やわらかで不確かで流動的で、とどまっていてはくれないものの集合体で世界はできていて、その一部として生きるのが、わたしたち。
世界の一部でありつづけるために、わたしたちはそれらの不確かなものたちと離れてはならないし、わたしたちもそのようにあるのが“ほんとう”ではないか、とも感じます。
理屈ではなく、岸田さんの絵を見ていると、そういうことを、ただ感じます。


*記事タイトルの#XXというナンバーは、準備室だよりでのご紹介順を
 示すためのものです。作品にふられた番号ではありません




[writer:yamamomo]
| 作品のこと|ドローイング | 13:14 | comments(0) | - |
ドローイング #28
2001年に描かれた岸田真理子さんのドローイングをご紹介しています。



  岸田真理子 ドローイング 

   Special Thanks to: Ikezaki Tsuguhito



現実的で直接的な力はまったく持っていないのだけれど
できるだけ誰かと目が合わないようしながら
呼吸の音さえ聞きとられまいとしながら
そっと過ごしているのだけれど

ああ、あなたが世界を、
わたしたちを守ってくれているんだねと
知ることがある

あなたをじっと見つめないように気をつけながら
あなたといっしょに生きる

あなたの気配とはぐれないように生きていければ
わたしたちは、世界はまだ、だいじょうぶだとわかる



*記事タイトルの#XXというナンバーは、準備室だよりでのご紹介順を
 示すためのものです。作品にふられた番号ではありません




[writer:yamamomo]
| 作品のこと|ドローイング | 15:25 | comments(0) | - |
ドローイング #27 +島のお話
2001年に描かれた岸田真理子さんのドローイングをご紹介しています。



  岸田真理子 ドローイング 

   Special Thanks to: Ikezaki Tsuguhito



前回(またまた間があいてしましましたが)は、「島時間」展のことを書きました。
今日は、「島」のお話です。

実はこの夏、岸田真理子さんはしまなみ海道の島のひとつにアトリエを移されました。
その新しいアトリエへ、今度の尾道行きではお邪魔させていただいたのです。

受付係の住む香川県で長く制作を続けられてきたので、拠点を移されることが決まったときは少なからず複雑な思いもあったのですが・・・
作品展を見たあとは、そんな気持ちは消えていました。

Petit Pointさんで見た新作は、香川の果樹山での作品からしずかに響いていた旋律----いのちが生れることと死んでいくことが等しくいとおしい、どこまでも調和した音楽----をそのまま奏でながら、もっと無心に感覚が拡がっていくような絵でした。

その感覚をよくおぼえておこうと、胸の中で繰り返しなぞりながら島へ渡って、岸田さんと合流。

“島”と言っても、尾道市街よりむしろ開放的な風景が続いているのが意外でした。
アトリエは静かな住宅地の中で「意識して探したわけではないのに、辺りの土地の感じが香川とよく似ている」と岸田さんもおっしゃっていたのですが、わたしもそう感じました。

大きな道からそれると小刻みにアップダウンのある曲がりくねった細い道路が続き、家々の間には家族のための野菜や花を少しずつ育てている畑が点在していて、人家の灯りが消うと、文字通り降ってくるような星空。

少し高いところに敷地のあるアトリエは、どの窓からもほんのすぐそこに星が見えて、星の海に浮かんでいるような感じがしました。


“街”と橋で結ばれていて、人の動きに合わせて運行してくれる渡船に乗ればほんの数分で“本土”に立つことができて、島で暮らすことに敢えて不便と呼ぶほどのものはないと、もともとが田舎育ちのわたしは思います。
けれど、わずかにどこか、切り離されてもいる。何かを介さなければつながらない。
そのほんとうにわずかな途切れが、とてもいいと思いました。

夜----もしくは自分の時間---へ戻っていくときに、ほんの一瞬だけれど“外界”と切り離される。
それは、昼間の思いや感じたこと、考えたことを消化するのを促す、自然のスイッチになるような気がするのです。


翌日は岸田さんのご案内で島をひとまわり。島を取り囲む静かな内海は、数え切れないほどのいろんな青を見せてくれました。
昼間の青、その上空に満ちた光、夜の暗さと星々。
短い滞在で岸田さんとお話できる時間は限られていましたが、ここから生れようとしている作品のことを、島の光景からも感じさせてもらった気がします。

月舟は潮に導かれて、然るべき島へたどり着いたようです。



*記事タイトルの#XXというナンバーは、準備室だよりでのご紹介順を
 示すためのものです。作品にふられた番号ではありません




[writer:yamamomo]
| 作品のこと|ドローイング | 12:42 | comments(0) | - |
ドローイング #26
2001年に描かれた岸田真理子さんのドローイングをご紹介しています。



  岸田真理子 ドローイング 

   Special Thanks to: Ikezaki Tsuguhito



誰かのためではなく
何かのためでもなく

すべての瞬間を
まぎれもないいのちであろうとする
過不足のないいっしょうけんめい

その姿のひとつひとつが必然で
うつくしい光景は
数え切れない必然でできている



*記事タイトルの#XXというナンバーは、準備室だよりでのご紹介順を
 示すためのものです。作品にふられた番号ではありません




[writer:yamamomo]
| 作品のこと|ドローイング | 23:48 | comments(0) | - |
ドローイング #25
2001年に描かれた岸田真理子さんのドローイングをご紹介しています。



  岸田真理子 ドローイング 

   Special Thanks to: Ikezaki Tsuguhito



ええ、受付係yamamomo@職務怠慢中です・・・ごめんなさい。

やっと夜の空気がやさしくなってきて、周りを見回す余力を取り戻してみると、もう9月も半ば。準備室だよりをなかなか更新できずに、お詫びばかり言っているうちに過ぎた夏でした。

数日前の外出時。
いつもとは反対の方向へ自転車を走らせていたら、稲刈りを待つ田んぼの間に、なぜか水をはられた田んぼを見つけました。あとで知人に尋ねると、草が生えるとたいへんなのでそうしておくことがあるのだそうです。

おひさまが沈んだ直後の、ばら色の雲とくすんだ空色がそこにだけ映っていて、頭上の空よりもくっきりとあざやかでした。

おとなになると、物理的な具体性やリアリティを多く備えているものほど、“本物”として“格”が高いように考えてしまいがちです。
けれどもあのとき、夏が確かに去ろうとしていることを、これからやってくる宵闇はまぎれもなく秋に属していることを、ありありと伝えてきたのは水面の空でした。

本当のことを――本当の世界を知りたいのなら、自分がほしい“本当”って何なのか、考えなくてはいけないのかもしれません。


*記事タイトルの#XXというナンバーは、準備室だよりでのご紹介順を
 示すためのものです。作品にふられた番号ではありません




[writer:yamamomo]
| 作品のこと|ドローイング | 23:58 | comments(0) | - |
                                         
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