岸田真理子公式サイト「金星美術館」のblog、“準備室だより”です。作品展のスケジュールなどをお届けします。
サイト運営担当のyamamomoが作品に感じたことや引き出されたことなどを、“見る側”のひとりとして書いたりもしています。

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「月下シーソー」(銅版画)
2011年のおしまいの日から、2012年のはじめの日にかけて、この記事を書いています。


  
 岸田真理子 銅版画「月下シーソー」 

   Special Thanks to: Ikezaki Tsuguhito



しめくくりの日ではじまりの日だから、ただ、好きな作品を選びました。

思い返す時間にも、これからの時間にも、何も言いたくありません。
ただ、それぞれにとっての「今」が、「今日」が、いつもおだやかに満たされたものであるようにと、願います。




[writer:yamamomo]
| 作品のこと|銅版画 | 23:04 | comments(0) | - |
「お散歩」(銅版画)
受付係が病気でもしているんじゃないかとご心配くださっているみなさま。
すみません。ちゃんと元気にしております。

9月の後半くらいからでしょうか、あちこち行かなければならないことが続いていました。


  岸田真理子 銅版画「お散歩」 

   Special Thanks to: Ikezaki Tsuguhito



遠くへ行くとき――行った先で迷子になったり、時間が足りなくなったりしたら困るようなとき、出かける前にいっしょうけんめい、調べます。
よく調べておくと、失敗もしないしうまくいく。

でも、予定通りにかけ足で訪ね歩きながら、ちょっとつまらない気持ちになるのです。
はじめて歩く街角を、足の裏で確かめながら少しずつ知っていきたいのに、あの角を曲がってみたいのに、調べて“もう知っている”ものをなぞっているだけで終わってしまう。
なぞらなかった線のことを、わたしは知らないまま、そこをはなれる。

思っているところへまっしぐらに運んでくれる乗りものはとても便利なんだけれど、あんまり速いものだから、“いつも”と“特別”を、わたしはうまくつなぎ合わせることができない。

自分の足でとことこ歩いていけるところだけを、速くもなく遅くもないリズムで少しずつ知りながら過ごすほうが、だんだん深く知っていくほうが、ずっと世界の一部になれたように感じるのは気のせいではないと思います。

だって、今日の原っぱが、昨日の原っぱとはもう同じではないことを、自分の足や羽で行けるところだけで暮らしているひとたちは知っているのです。
そして、原っぱをちゃんと毎日知りなおしているひとたちは、地図の切れ端を集めることに追われているわたしたちよりずっと、世界を分かっているのです。


[writer:yamamomo]
| 作品のこと|銅版画 | 23:46 | comments(2) | - |
「風生ずる」(銅版画)
ついに一度しか更新できないまま6月が終わってしまいました。
受付係、少なからず、凹んでおります。


   

   Special Thanks to: Ikezaki Tsuguhito



風が生まれるとき――風が生まれようとしているとき、というのが、感覚としてすこし分かるようになってきました。

空気の中に、わずかに緊張感のようなものが流れこんできた気配がするとき、それはたいてい、風のきざしです。
そのあとに、何かと何かがしずかにせめぎ合う感じ。そして二、三度、空気全体がかすかに、でも大きくゆらめく感じ。それから、風。まず離れたところからこちらへ近いづいてくるらしい予感があって、体を包むころにははっきりとまぎれもなく、風。

別のことに気を取られていたら気づかないほどの、あのせめぎ合いとゆらめきが、風の生まれようとしているところなのだと思います。
その度いつも、何もかもはあのようにして始まったのだと、感じます。

風が生まれるところを感じるのは、星が生まれるところや、生命体が生まれるところの疑似体験に近いのかもしれません。




[writer:yamamomo]
| 作品のこと|銅版画 | 23:16 | comments(0) | - |
「空のバラ」(銅版画)
どんな花が好きかを別にして、だれが見てもやはりうつくしいものだなと感じさせるのが、バラだと思います。

都市に住んでいたころは、花屋さんの店先で切り花になったバラくらいしか見られませんでした。今住んでいる町は、庭先や住宅地の中にぽつりぽつりと残っている畑や、線路脇の菜園にまで、ほんとうにたくさんのバラが植えられています。


  岸田真理子 銅版画「空のバラ」 

   Special Thanks to: Ikezaki Tsuguhito



今年もバラの季節が来て、さまざまの花を見ながら、ふと去年まで考えなかったことを考えているのに気がつきます。

うつくしく花開かせるために、お世話をしている人たちのことです。

バラが好きで、花をたのしむために育てている人。
バラが元気であるようにと、いとおしんで育てている人。
それから、バラのある世界のことを思って育てている人も、いるでしょう。

このごろ、同じことの先に、さまざまの思いが見えることが多くなってきたような気がします。

それはそれとして−−わたしは、わたしの思うバラが毎年うつくしく咲くことのできる世界であるように願って、そのように過ごしていこうと思います。


[writer:yamamomo]
| 作品のこと|銅版画 | 22:15 | comments(2) | - |
「オレンジ山」(銅版画)
少しずつ、あついなと感じる日がふえてきました。
連休中はわたしのまわりの兼業農家のお家もおおわらわだったようです。
そして、田植えのおわった田んぼにも、夏野菜の苗が育っている畑にも、山にも、雨の降りそそぐ日が続いています。


  岸田真理子 銅版画「オレンジ山」 

    Special Thanks to: Ikezaki Tsuguhito



去年までは、この季節の雨にただ恵みだけを感じていました。
今年は・・・それ以外にも考えずにはいられないことが、どうしてもあります。

同じ“いま”を生きているみんなが、“あの人”と“わたし”ではなく“わたしたち”になるにはどうすればいいのでしょう。
“いま”のなかにふくまれているかなしみやいたみを、“わたしたち”のものとするために、ひとりはどう生きればいいのでしょう。
おひさまの光と土と水がくれるよろこびを、どうすれば“わたしたち”みんなの恵みとすることができるのでしょう。

しずかに生まれ、とてもゆっくりと、でもたしかに熟し、また始まりへと還っていくいのちのように“わたしたち”であることができるように――かつてわたしたちがそこからやってきた場所の記憶を、あなたとわたしが“わたしたち”であったころのことを思い出すことができるように――そう祈ります。


[writer:yamamomo]
| 作品のこと|銅版画 | 00:00 | comments(0) | - |
「ぶどうの赤ちゃん ベイビーピオーネ」(銅版画)
あれよあれよという間に、4月も最後の一日。

空き地にも、庭先にも、土手にも畦道にも花がいっぱいなのは気づいていたけれど、足をとめるタイミングをのがしてばかり・・・たまには、そういう春もあるのでしょう。



  岸田真理子 銅版画「ぶどうの赤ちゃん ベイビーピオーネ」 

    Special Thanks to: Ikezaki Tsuguhito



今日は久しぶりに、散歩をしました。

川沿いの道を歩くと、あたたまって軽い音を立てる水の中で鯉(野生のものです)や鮒が群れて泳いでいて、畑の間を走る線路には、両側からあかるい緑の小さな葉をちりばめたような枝が張りだしていて、どこもかしこも春の中でした。

水の中しか知らない魚たちも、散歩に行けない草や木や花も、それに、ハウスの中のぶどうの木も――みんなちゃんと、世界が春なのを知っているのです。



[writer:yamamomo]
| 作品のこと|銅版画 | 23:33 | comments(0) | - |
契約(銅版画)
岸田真理子さん、池崎継仁さんも参加
祈り希望のチャリティーフェアー

コンサート・作品展示販売・カフェ・マルシェetc.
2011410)10:00a.m.〜17:00p.m. 
at:Gallery Fabrile
***くわしくはこちら***


  岸田真理子 銅版画「契約」 

    Special Thanks to: Ikezaki Tsuguhito



生まれてくることは、自分の意思ではない。
ヒトだけでなく、草木も虫も鳥も魚も、もっと小さなものたちも、石や土でさえも。

けれども、ここにいることで、こうしてあることで、わたしたちは世界の一部。
ひとつであるための約束を、数えきれないものたちと交わして。
 
いのちが、ひとつひとつが、世界との契約そのもの。
約束を生きる、わたしたち。



[writer:yamamomo]
| 作品のこと|銅版画 | 23:30 | comments(0) | - |
「せんだん」(銅版画)
せんだん――樹の名前です。


  岸田真理子 銅版画「せんだん」 

   Special Thanks to: Ikezaki Tsuguhito



成長の早い樹で、わたしの住む香川では、川の土手や山でよく目にします。
岸田さんの香川のアトリエがあった果樹山のまわりにも、この樹がたくさんありました。

大きな葉をしげらせ、うすむらさきの花をたくさんつけ、秋には丸い実をむすび、変化に富んだ姿を見せる樹ですが、わたしは冬のせんだんが――葉も実も落として、ひんやり透明な空に向かってすっと枝をのばした姿が――いちばん好きです。

じっと動かないけれど、芽生えたところでずっと生きていくけれど、樹は知っていると思う。
遠くの森のことも、星々のことも、砂漠のけもののことも。
春を待ちながら、夏の記憶をたどりながら、樹は世界を思っている。まぎれもない一本の樹として、ここに在るために。

だまったまま何もしていないようにしか見えないけれど、樹が思っていてくれるので、世界は今日も世界であり続けることができるような気がします。


形のあることは何もできなくても、動けなくても、思うことはできます。
思いがやがてつながりあうと、あたたかくやさしい風になります。
思うことが、はじまり。思うことを、やめない。
やがて、あそこへ届く風になるように。



[writer:yamamomo]
| 作品のこと|銅版画 | 00:37 | comments(0) | - |
「空の樹」(銅版画)
空のことは、理科の授業で習いました。
鳥のことも、草木のことも、土のことも。


  岸田真理子 銅版画「空の樹」 

   Special Thanks to: Ikezaki Tsuguhito



地球にあるものは、ずっとずっとたどっていくと、みんなおひさまの光からできていることは、教わりました。
それでも、おひさまはおひさまで、花は花で、わたしとは別のものでした。

けれどもほんとうは――わたしがこうしてここにいることと、雨が降ることと、ちいさな生きものの体があたたかいことを、いったいどこで区切ることができるのだろう。

川床の石さえ、風さえも、ほんとうはどこかでわたしとつながっていて、わたしたちは大きな樹。海を渡って遠く旅する鳥たちも、羽化を待つちょうちょうのさなぎも、同じ幹から伸びた枝の先にある。

そういう実感を、一枚の絵からもらうことになるとは思いませんでした。
今日の岸田さんの銅版画が、わたしには世界を映す鏡のように思えます。


[writer:yamamomo]
| 作品のこと|銅版画 | 01:19 | comments(0) | - |
「山の川」(銅版画)
山が色づく、といえばふつうは秋の紅葉をイメージするところですが、わたしはこの季節――芽吹きの頃の、日ごと少しずつ薄緑がかってくる山を見ても“色づく”ということばが浮かんできます。


  岸田真理子 銅版画「山の川」 

   Special Thanks to: Ikezaki Tsuguhito



じわじわと、しみだしてくるような緑いろ。

いま空気にふれたばかりの葉っぱがつながっているところを――細い枝の中を、空へ向かって伸びる幹の中を、土の中の根を、思います。
黒くていいにおいのする土を伝わって、葉っぱの先までやってきた、水のことを思います。

緑の山は、ぽつりと明るく光る小さな芽の先まで、ほんとうにすみずみまで、春の水脈で満ちていきます。

山がなければ生まれない流れがあって、流れがなければ生まれないものが山を山にしている。
しみだしてくる緑の底へ、山肌がしずんでいく春の入り口。



[writer:yamamomo]
| 作品のこと|銅版画 | 23:32 | comments(0) | - |
                                         
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